水俣が映す世界 epubダウンロード無料
水俣が映す世界
strong>本, 原田 正純
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によって 原田 正純
4.5 5つ星のうち2 人の読者
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内容(「BOOK」データベースより) 本書は、水俣病の根源に存在するもの“それは差別である”という仮説を、水俣病以外の事例や外国、とくにアジアの国々との関係において学際的に研究することによって明らかにしようと試みたものである。権力と庶民、中央と地方、都市と農村、資本と労働者、健者と病者、そして先進国と途上国といった構図と環境問題や健康問題との関係を追ってみた。
以下は、水俣が映す世界に関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。
本書は医師で熊本大学医学部助教授熊本学園大学教授を勤めた原田正純(1934-2012)による『水俣が映す世界』(日本評論社 1989)です。本書は三部構成で第一部水俣病差別の構造--水俣病症候群第二部棄民の構造--人間疎外の状況第三部環境汚染を追うーー世界のあちこちでとなっています。先行して出版された『水俣病にまなぶ旅』(日本評論社 1985)に比べますと水俣病プロパーの話つまり熊本県・水俣市における話だけでなく国内の同様の話(第二部)と国外の同様の話(第三部)が充実しているのが特長と言えます。原田は鹿児島県・宮之城町(当時)出身ラ・サール高校から熊本大学医学部卒業し神経精神科の医師となりました。そのとき出会った水俣病の患者さんを文字通り死ぬまで医師として診続けました。学位論文となった『水俣地区に集団発生した先天性・外因性精神薄弱ーー母体内で起こった有機水銀中毒による神経精神障害”先天性水俣病”』は日本精神神経学会賞を受賞しました。先天性水俣病つまり胎児性水俣病の存在を明らかにした画期的論文です。実はそれまでの医学の常識では「胎盤は毒物を通さない」と思われていました。なぜなら「種を保存する」つまり「遺伝子を次の世代に受け継ぐ」のが生物の目的であるならば胎盤は毒物をブロックしもって胎児を毒部から守るのが胎盤の役割であると思われていました。ところが現実は逆でした。水俣病の原因となった毒物であるメチル水銀を胎盤は通すことが分かりました。結果として母体は重篤には傷害されないのに対し胎児は水俣病に罹患してしまいます。この厳しい現実を踏まえて原田は「子宮も環境である」と考えなければならないことを問題提起しています。本書の第三部第ⅩⅡ章「社会病なるがゆえの難病」においてはカナダにおける水銀汚染事件をリポートしています。1975年頃カナダのオンタリオ州において水銀中毒ではないかと見られる報告があり原田は調査にでかけました。パルプ工場ができてそこで無機水銀を使用していたためその工場排水が原因となって生物濃縮が起こり有機水銀中毒(つまり水俣病)が起こった可能性がありました。その被害を受けたのは当地の「先住民族」でした。原田が注目したのは水銀汚染そのものよりも先住民族が置かれた社会的条件であり歴史的背景でした。先住民族は遺伝子的にアルコール酸化酵素活性が低く簡単に言うとアルコールを分解する能力が低いのが特徴です。しかしそこに白人たちがアルコールを持ち込みました。「火の水」と呼ばれたアルコールに先住民たちは耽溺します。朝から酒を飲み、結果として貧困と犯罪と差別と疎外にあいます。水銀中毒の可能性を原田が指摘しても当地の医師や行政は先住民たちがアルコール依存症であることをもってその症状を説明します。有り体に申し上げれば白人たちは最初から予断と偏見をもって先住民たちを「アルコール依存症」と決めつけていました。1975年3月原田が現地を訪れたときその地区には水道も電気もなかったそうです。同年8月電気だけはやっとつきました。ところが貧困にあえぐ原住民の小屋の中に「電気洗濯機、電気冷蔵庫、テレビなどの電気製品がでーんといすわっている」(p.224)のを目撃します。白人の会社の商人たちが売り込んだのでした。①水道がないので電気洗濯機は使いものになりません(水は下の湖からくんでくるしかありません)。そもそも電気洗濯機で洗うほどの衣服を持っていません。②気候的に夏でも高々15℃、長い冬には零下10℃以下です。電気冷蔵庫は無用の長物です。そもそも貯えるべき食料もありません。③テレビは映るにしても英語放送だけなので先住民特有の言語しか話すことができない先住民にとっては無声映画と同じことです。つまり先住民たちにとって①電気洗濯機も②電気冷蔵庫も③テレビも無用の長物だったことになります。米国のセールスの本に”Ice to the Eskimos”という本があるのをみなさんご存知でしょうか?日本でも「エスキモーに氷を売る」あるいはその変化したヴァージョンとして「エスキモーに冷蔵庫を売る」という標語がしばしば引用されます(「エスキモー」という呼称は公用語として使われている所もあれば差別用語として使われていない所もあります。また自身が自称するときには問題ないと主張する人々もいます。国や州によって差がありますのでそれを確認した上で使用する/しないを決定する必要があるでしょう。言い換える場合には「イヌイット」が一般的なようです。ただし「イヌイット」についても国や地域で適切な場合とそうでない場合があります。従って「エスキモー」も「イヌイット」も絶対的な禁忌ではないかわりに無制限に使っていい用語でもないと言えるので確認した上で慎重に使うのがよいようです)。需要がないところに無理やりにでも需要を生じさせる手法として美談あるいはセールスの鉄則として今でもセールス・セミナーなどでとりあげられることがあるようです。その多くは「発想の転換」「自由な思考」「粘りの経済活動」の典型例として肯定的に紹介されています。しかし本書を読むと「貧困」と「差別」という根源的な問題が横たわっている場合があることに気づかされます。本来、需要がない(ありえない)ところへむりやり「消費」を起こすことが本当にいいことなのか一度立ち止まって考えてみる必要があると思います。そのきっかけとして本書は有益です。
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