ヒロシマの少年少女たちオンラインブックダウンロード
ヒロシマの少年少女たち
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によって 関 千枝子
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内容紹介 私のクラスメイトは全員死んだ。建物疎開作業(土方作業)のために。 あの日、広島中じゅうの中学、女学校1・2年生8000人以上が 動員され、約6000人が死んだ。 平和大通りは子どもたちがつくった道であり、子どもたちの墓場なのだ。 日本教育史上最大と言われるこの事実が、あまりにも知られていない。 子どもたちはお国のために死んだ「最年少の英霊」として靖国神社に 合祀された。しかし、朝鮮半島出身の生徒は外国人としてカットされた。 クラスメート一人一人の遺族を訪ねて記録した著者が、 渾身の力を込めて後世に伝え残したい痛切な事実の訴え。 内容(「BOOK」データベースより) 私のクラスメートは全員死んだ。建物疎開作業のために―奇跡の生き残りである著者が、渾身の力を込めて後世に伝え残したい痛切な事実の訴え。日本教育史上最大と言われる事実が、あまりにも知られていない。 著者について せき・ちえこ 1932年大阪生まれ。旧制女学校2年のとき広島で被爆。 学校を病欠していたため助かる。 早稲田大学文学部ロシア文学科卒業。 1954年、毎日新聞社入社、社会部、学芸部の記者を務める。 のち全国婦人新聞(女性ニューズ)記者、編集長。 現在はフリーのジャーナリスト。 2014年、安倍靖国参拝違憲訴訟原告(筆頭)。 主著: 『往復書簡 広島・長崎から―戦後民主主義を生きる』 (共著、彩流社)、 『広島第二県女二年西組―原爆で死んだ級友たち』 (ちくま文庫。日本エッセイストクラブ賞および 日本ジャーナリスト会議奨励賞受賞)、 『図書館の誕生―ドキュメント日野図書館の二十年』 (日本図書館協会)、『この国は恐ろしい国―もう一つの老後』 (農文協)、『ルポ 母子家庭 「母」の老後、「子」のこれから 』 (岩波書店)。 近刊として知の木々舎の中山士朗氏との往復書簡を 西田書店から刊行予定。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 関/千枝子 1932年大阪生まれ。旧制女学校2年のときに広島で被爆。学校を病欠していたため助かる。早稲田大学文学部ロシア文学科卒業。1954年、毎日新聞社入社、社会部、学芸部の記者を務める。のち全国婦人新聞(女性ニューズ)記者、編集長。現在はフリーのジャーナリスト。2014年、安倍靖国参拝違憲訴訟原告(筆頭)。『広島第二県女二年西組―原爆で死んだ級友たち』(ちくま文庫。日本エッセイストクラブ賞および日本ジャーナリスト会議奨励賞受賞)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 続きを見る
以下は、ヒロシマの少年少女たちに関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。
84歳筆者の渾身の書と思う。おそらく遺言に近い形で書いている。筆者は「広島第二県女2年西組」を書いているが(これも渾身の書)、広島の中心、雑魚場にクラス友人の学徒が駆り出され、原爆で全滅。戦後唯一の生き残りとして、友人が瞬時に亡くなるのではなく、それぞれの亡くなるまで壮絶な生き地獄・時間を克明に記し、戦後、その全ての子供たちが、軍神・命として「靖国神社」に戦前と同じ状態で合祀されしまったことを憤る。さらに、その後の不明な点として、日本の国家主義・政治的に戦前を引きずる靖国に合祀される以前の問題として、原爆投下当時、学徒動員で駆り出され、それぞれの作業を軍によって科せられた少年・少女(12~15歳の子供たち)の壮絶な死者数が、公的な公表実数と合わない点に気づく。それが、当時の徴用として日本に連れてこられた朝鮮人の人々の子供たちであり、その実生活は最下層に位置した。在日朝鮮の子供たちが、死者数に現在でもカウントされていないことを突きつめたのだ。つまり、朝鮮人の子供たちが、広島原爆で忘却以前、亡くなったことになっていないのだ。詳しい実数は分からない。しかし、事実の一例として、広島で被爆したプロ野球・張本勲(在日朝鮮の方)の姉、点子の存在を、張本の口述から知り、何と、その姉の同級生を探し当てる。張本は、原爆で亡くなった姉の事は、覚えておらず、亡くなった年齢も定かではないが、同級生の証言により、現在の中学生の年齢、しかも朝鮮人地区に住んでおり、よく遊んだという事が分かる。さらに、現在でも日本人名、張本点子は、原爆で亡くなった死者にも数えられていないことも浮き彫りになった。このような、死者にカウントされていない、朝鮮の子供たちが、少なくとも数百人に及び、広島での学徒、子供たちの全体死者数は、6000人をゆうに超える。朝鮮から連れてこられ、大日本のため命を捧げることを強いられた、死者にも数えられていない子供たち。私たち日本人は、アジアでの加害(従軍慰安婦問題等)を直視することなく、敗戦後、戦争被害を自国の民族しか取り扱わなかった援護法をはじめ、あまりにも自分達・日本人・に都合良い身勝手な解釈であることに愕然とするが、同時に、被害・忘却以前の広島で亡くなられた死者にすらされていない朝鮮の子供たちの事実を、我々が深く記憶に刻むべきと思う。そして、伝えていくべきと思う。筆者、後半部で、「現在の広島中心の大通りは、少女、少年の墓場であることを、決して忘れないでほしい」と結んでいる。ヒロシマは何も終わっていない(おそらくナガサキもそうだろう)。是非、多くの人々に読まれるべき本と思います。
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